Novel

□間近で聴こえるオト
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バイトが終わって裏口から出ると、いつものように碓氷が待っていた。が、無視して前を通り過ぎる。

「かーいーちょー? なぁ〜んで無視するのー」

碓氷はすぐに追いついて、斜め上から顔を覗き込んできた。

「ち・か・い! 何なんだお前は?! 先に終わったんならさっさと帰れよっ」

何回同じこと言わせる気だよ?! 片手で押しやりながら怒鳴る。
客として来たときも臨時バイトとして来たときも、コイツはいつも裏口で待っていて私を家まで送ろうとする。

「―…鮎沢こそ、何回同じこと言わせる気? 女の子を1人で帰すわけないでしょ」

少し声のトーンを落として言ってくる碓氷に何も言えなくなってしまい、結局はいつも送られてしまう。本当に何なんだ…っ。
何でコイツはいつも私を女の子扱いするんだ? 何でコイツにいつも私は混乱させられるんだ…
困惑したまま碓氷から顔を背けて、早足で駅に向かう。碓氷は黙ったままついてきた。

――――――――――

改札を通るとやけに人が多いことに気が付いた。帰宅ラッシュのピークを過ぎている時間帯のため、いつもなら空いているぐらいなのに珍しい…と疑問に思っていると

“――○○時頃××駅で人身事故がありました関係で、ダイヤが大幅に乱れております。お急ぎのお客さまには…――”

アナウンスが流れて納得した。
ホームに移動すると、改札付近とは比べようもないくらい人でごった返している。あまり人ごみは得意としないため、うんざりとした気分になっていると、碓氷に軽く肩を押されてまだ人の少ない列へと移動した。

「…ここまで混んでいると電車が来てもすぐには乗れないだろうな…」

早く帰って明日の予習をしたかったのだが仕方がない…溜め息混じりに呟く。案の定ホームに入ってきた車両はすでに満員で、ホームにいた帰りを急ぐ人達がそれでも押し込んで乗っていく。さすがにその中に入っていく気になれず、何本か見送ったあと比較的余裕のある電車に乗った。
これぐらいならまだいいか、と安堵していたが発車間際になって集団が走り込んできて身動きが取り難いほどに混んでしまった。しかもその際、ぶつかるからと碓氷に引っ張られて、奴の腕の中に納まるような格好にさせられてしまう。
すぐに身体を離そうとしたのだが、碓氷の片腕が腰に回されていたことと、それ以前に混んでいるために満足に動けない状態になっているせいで無理だった。

カーブや駅での停発車で揺れるたびに人に押されてバランスを崩し、その都度碓氷の身体と密着する。向かい合っているので碓氷の息づかいが耳許近くで聞こえて、心臓が早鐘を打ち出した。
速すぎる自分の鼓動が耳の中で響く。そのあまりにも大きい音に、碓氷に聞こえてしまうのではと居心地が悪くなってくる。するとふいに碓氷が耳許で囁いた。

「顔赤いけど…暑い…?」

「っ暑いんじゃなくて…く、苦しいんだよ、押されるから…っ」

本当は押されていることだけで苦しいんじゃないのだが、そんなことは恥ずかしすぎて言える訳がない。
しかめっ面のまま答えると、そっか…と呟いた碓氷は次の駅に着いたとき、人が降りる流れに沿って私の身体を誘導して自分の身体とドアとの間に移動させた。

「まだ混んでるし。これなら押されないでしょ?」

空いている片腕をドアにつけ、私を庇うようにしてにっこり笑った。

「あぁでもドアが開くときは危ないから…」

言いながら私の腰に回したままだった腕に力を入れて引き寄せると

「もうちょっとくっついていよーねv」

笑顔のまま言い放った。
抱き合うような格好になったことで一瞬頭の中が真っ白になり、反応できないでいるうちに碓氷の顔がさっきよりも近づいてくる。口許はからかうような笑みを形づくり、まだ暑い…? と囁く。
からかいやがってっ…っ! ムカつく…! 反撃しようにも動きがとれないことも苛立たしい。どうしたものかと考え、ひとつの方法を思いついた。
少し上にある相手の顔を睨みつけながら笑顔を作る。まだ自由のきく手を動かして碓氷の腕にそっと添えると、力の限り思いっきり…つねってやった。

「! ぃっ…つっ…っ」

ひどいなぁとぼやいて腕の力を緩めたが、まだ碓氷は私を離さない。しぶとい…

「調子に乗るからだ」

ざまぁみろと胸の内で毒付く。

大きな音で脈打つ鼓動は未だに速いままで、速度を落とす気配がない。悔しかったが、それでも少しだけ仕返しができたことに私は満足した。
それに…押しやるように相手の胸についた手から伝わる、くっついたときにも聴こえた碓氷の心音が私と同じくらい速かったことに、思わず笑いそうになる。
その、珍しくうっすらと赤くなっている顔に免じて…今日のところは許してやるよ。


end.(2009.08.06)

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