Novel

□櫻守
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嵐の中のみ見ゆる桜あり――

不確かな噂に縋る己に嘲いつつ
人里離れた山々を歩き行く
かつて一度目にした光景を
追い求めて彷徨う月日
他人(ひと)との交わり厭い
ただ求めるは己が死に場所

強さ増す春雷と豪雨
足とられて滑り落ちた谷底
ようよう開いた目で見たものは
水煙に煙る 薄紅の花の天(そら)
白から紅
一重から八重に 枝垂れのものまで
ありとあらゆる桜の姿
そして佇む長き黒髪の女

近寄り つい とのばされる
闇に映える白き指
見惚れて動けずにいれば
なぞるように頬を触れ

珍しい――お前は人だろう?

問われて気付く人外の気配

色薄き己の瞳は 幼き頃より妖を見た
しかし今目の前にいるそれは
今までの妖とは全く異なるもの
気付き見つめれば
射抜く眼差しで返され
その瞳に
一瞬で全て捕らえられる

人はここには不要 なれど動けぬならば

傷付いた足を指差され 痛みに気付く
女が宙に手を翳せば 舞う花弁が集う
見る間に足が花弁に包まれ
再び散らされたときには痛み無く

今のうちに去るがいい

肩押す女の手を掴み名を問えば
首傾げるばかり
先程の女のように指のばし
包むように頬触れる

お前を呼ぶためのものだ と続ければ
ここに私を呼ぶものなどない
ここには私と桜のみ
ならば
俺が決める それまでここに
いさせてくれ との願いは聞き入れられる

付かず離れずの日々
飽くることなく女を見 言葉交わすうちに
女に生じた変化
やがて女は男に笑いかける
蕾が綻ぶように ゆっくりと 艶やかに

己以外のものとのやり取りに
互いに抱いたひとつの感情

欲しい――
死に場所探し彷徨った男のなかに
乾き 飢えた欲が湧き上がる
知らず引き寄せ
名を決めた と告げれば

ならばもう人の世に戻るがいい
名を決めるまでのこととはいえ
お前は長く居すぎた

腕の中 変わらず射抜く眼差し
されど男は気付く
僅かに揺れる女の瞳

名があるのなら 呼ぶものが必要
俺は
戻らない

言い切る男に それでも女は頭を振る

人は人の世で生き死にするが道理
まだ間に合ううちに
夢 幻と思って忘れるがいい

言うなり 花弁が包む男の身体
引き離される感覚に
抗うように抱く腕に力を込める
そのまま引き寄せた女に
噛み付くように合わせる唇

人でないものになればいいのだろう
お前なら ここでなら
それができるのだろう?

見開く女の瞳に答えを見る

俺をお前と同じものにしてくれ
――美咲――

呼ばれた女――美咲は男を抱き返す

お前の名は?

それが答え
笑み浮かべ 己の名を告げ 視線を合わす
互いを縛るその眼差しに
どちらともなく近づいて
二つの影は一つに重なる





嵐の中のみ見ゆる桜あり
総ての桜が集う場所
総ての桜の始めの場所
総ての桜の終わりの場所
佇むは一人の櫻守
桜そのものにして桜の守り人
見ること叶うは嵐の中

この世ならざる美しさに
求める者は後を絶たず
稀に見ること叶うも
足踏み入れること叶わず

ただ
佇む櫻守が姿
仲睦まじき男女の姿に変わりけり


end.(2009.07.12)

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