Novel

□別離。そして…
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日に日に日差しが暖かくなり始めたとはいえまだまだ朝夕は冷え込む3月上旬。特に今朝は昨夜の雨のせいか、いつもよりも気温が低い。まだ陽が昇りきっていない時間だからというのもあるのだろう。
未だ眠っている家族を起こさないように静かに玄関を出た美咲は、空を見上げたあと、一度深く息を吸い込むと数歩先の門へと歩きだす。門扉を開けようと手をかけると、ヒヤリとした鉄の感触が痛みとして指先に伝わる。思わず顔を顰めた瞬間、

「出掛けるの?」

言外に、こんなに早くから?…とでも言いたげな雰囲気を滲ませて1人の男が声をかけてきた。

「…お前こそこんな朝早くから…何の用だ…?」

相手を見もせずに返事をすると、門を閉めるためにクルリと男…碓氷に背を向ける。

「鮎沢に逢いたくて」

さらりと言ってのける碓氷を美咲はチラリと横目で見た。その表情は思いっきり呆れている。対して碓氷は穏やかに微笑んでいたが、笑っているのは口元だけで瞳は真剣さと淋しさがほんの少しだけ覗いていた。

「今日……時間、あるか? あるのなら…少し付き合え」

溜め息をつきながら問うと、少しどころか1日中平気、と返事が返ってくる。無言のまま美咲が歩きだし、その後を碓氷が追う。ゆっくりとした歩調だったが数歩で美咲の横に並んだ碓氷もまた、無言のまま歩みを進めた。


電車のドアにもたれるようにして立つ美咲の目線は、ずっと窓の外に注がれたまま動かなかった。何を見ているのでもない、些か焦点の合わない瞳をした美咲の横顔を、碓氷はどこへ行くのかと問うこともせずじっと見つめていた。
小一時間ほどすぎる頃、ポツリ、と美咲が話しだした。

「先月…いや、もう先々月だな…父親の居場所が判ってな…」

窓の外を見つめたままの美咲の表情はいつもと変わらない。ある意味無表情ではあったが落ち着いていた。

「――どこ?」
「…ガンセンター。末期患者向けの」
「えっ…?!」

僅かに目を見開いて聞き返す碓氷に対し、次で降りるぞ、と美咲の態度に変化はない。改札を出て再び歩いていく。今度は美咲の少し後ろをついていくようにして歩く碓氷は、歩くたびに僅かに揺れる美咲の髪を見ながら、もしかして父親に会いに行くのだろうか、と頭の片隅で考えていた。


センターの職員から連絡があったこと。その時点ですでに父親の意識がなかったこと。直前まで働いていた職場の同僚が家への連絡先を見つけてくれたこと。失踪当時にはすでに患っていたらしいということ。それを恐らく母さんは気付いていたらしいこと。父親が弁護士を頼んでいたこと。

居場所が判ってから判明した事柄をポツリポツリと美咲が話していく。時折碓氷が相槌を打つが、ささやかな声だったので美咲に聞こえているかどうかは分からない。
15分ほど歩くと公園のような場所に着いた。緑が多く、石畳の歩道はゆったりとしたスペースを確保して造られている。その歩道をしばらく進むと、左手に周りのものより殊更大きな樹がそびえていた。

「結局意識は戻らず…」

言いながらその樹を回り込むように曲がって美咲が立ち止まる。遅れて碓氷が曲がると、美咲の前にまだ新しい墓石があった。

「――。今日、四十九日なんだ」

静かに美咲が言った。
 

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