Novel

□Snow White
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窓を叩く強めの雨音で目を覚ました。
乾燥したこの時期の雨は適度な湿気を与えてくれるけれど、寒さを和らげてくれるものではない。
このまま冷え込めば、透明な雫は白い結晶に姿を変えて地上に落ちてくるのだろう。
そうなった方が喜ぶ人の方が多いのだろうかと特に根拠もなく思う。

携帯で時間を確認すれば予定の起床時間まであと僅か。
少し早いが起きだして、完全に目を覚ませるために浴室に向かう。
熱めのシャワーを浴びながらふと、今日雪が降ったら彼女はどんな反応をするのだろうと気になった。

今日はクリスマスイブ。

世間一般的には喜ばれるらしいホワイトクリスマスを、やはり彼女も喜ぶのだろうか。

雪を見て嬉しそうな表情をする彼女の姿を想像して、知らず口許が弛んだ。
シャワーを浴びたからだけではない温もりが身体を覆う。

――本人に訊いてみよう

頼まれた臨時バイトのため、何より彼女に逢うために、冷たい雨の中を足早にメイド・ラテへと向かう。
寒いのも雨降りも好きではなかったのに、彼女のことを想うだけで気にならなくなっている自分に苦笑しながらも、己の変化を素直に受け入れていた心は温かさを保っていた。

24日は恒例のクリスマスパーティーが開かれるメイド・ラテ。
予約制なので料理数の把握は容易だけれど、通常時と違って一度に大人数分を出さなきゃならないから、厨房は意外と忙しい。
料理を運ぶために何度も厨房に現われる彼女とも満足に会話もできていない。
それでも焦るような気持ちが湧かないのは、同じ空間に、彼女の傍に居るという事実からだろう。
彼女の気配を感じる距離。
それがとても心地好い。

仕事も終わり、いつものように彼女を送る帰り道で今朝の疑問をぶつけてみた。
雨足を変えながらも結局1日中降り続いた雨は、今も弱く傘を叩いている。
その雨を仰ぎ見るように顔を上げた彼女の言葉をじっと待つ。

「…別にクリスマスじゃなくても…雪が降るのは嫌いじゃない」

空へと向けた視線が雪を望んでいるかのように虚空を彷徨い、瞳が眇(すがめ)られる。

「特に…積もっている時の、音が無くなっている雰囲気は…気に入ってる」

道が凍ったりして足元が危なくなるのは困るけどな…と、情景を思い出して頬笑んでいた顔が苦笑に変化する様を見ていたら、傘で隔てられた距離が急に厭になった。
いつもなら肩が触れ合うほどに近い距離。それが今はお互いの傘が遠ざけている。
ついさっきまでは気配を感じられる距離が心地好いなんて思っていたのに、それだけでは物足りなくなっている。

気配だけじゃなく、もっと――

気付けばいつの間にか駅に着いてしまい、残念な気持ちで丁度ホームに入り込んでいた電車に乗り込んだ。
適度に込み合っていた車内は彼女に近付くのには好都合。
空いていた右手を取って引き寄せる。
急に引っ張られてバランスを崩した彼女が、踏鞴を踏んで倒れ込んでくるのを抱き締めるように受け止めた。
彼女は一言「悪い」と謝ってから体勢を立て直した。
込み合ってきたから引っ張られたのだとでも思ったのだろう。少し離れはしたが、大人しく腕の中に納まっている。
抱き合うとまではいかないが、寄り添うぐらいには近い距離。
繋いだ手から感じる温度が緩やかに全身に広がっていく感覚が安堵感を生んだ。

言葉を交わすことなく時間が過ぎる。
時折手に力を籠めると同じようにきゅっと握り返してくれる彼女の頬がほんのり赤い。
僅かに俯くその表情に理性が揺さ振られるのを自覚して、押さえ込むようにさらにきつく手を握った。
これ以上…をこの場で望んでしまえば、絶対に彼女は離れてしまうから。
短くて長いこの時間が早く終わるようにただ祈るしかできなかった。

下車駅に着き、先を歩いていた彼女が改札口を出た途端足を止めた。
どうかしたのかと思いながら彼女の視線を辿ると、その先は一面薄らと白いもので覆われている。
弱く続いていた雨が雪に変わっていた。

「―…冷える訳だな…」

台詞だけならうんざりしているようにも取れるだろう。しかしその表情は先程言っていたように嬉しそうだ。
思ったとおりの笑顔を浮かべる彼女に釣られて自分も笑っているのが判る。
再び彼女の手を取り「…行こう」と促して彼女の家までの道を歩き出した。

住宅街の道はいつも静かだが、今日は特に静かだった。
彼女が言った「音が無くなっている雰囲気」というのはこういうことなんだろう。
確かに雪が音を吸収しているように感じる。
聞こえるのは積もり始めた雪を踏みしめるお互いの足音だけ。
視線を上げれば目の前に公園が見える。
ウサギりんごを貰ったあの公園。

「…ねぇ…ちょっと寄り道していかない?」

最初は不思議そうにしていたが、すぐに行き先が公園だと気付いて、くすりと小さく笑って了解してくれた。
人気のない公園内は、まだ誰にも踏み荒らされていない雪景色が広がっている。
その中を静かに歩く。
振り返ると2人の足跡がくっきりと残っていて、それがなんだか嬉しかった。

ふと立ち止まって、おもむろに彼女を抱き締める。俺の手から離れた傘が、ぱさりと乾いた音を立てて落ちたのを目の端で捕らえた。
驚いただろう彼女は、意外にも抵抗せずにいて、もしかして同じ気持ちだったのだろうかと思えば、裏付けるように繋いだ手をぎゅっと握ってきた。

真っ白な世界の中で、色付いた彼女の頬が目に眩しい。
自分も同じように赤くなっていることは確かめるまでもなく判っていたが、不思議と隠そうという気持ちはおこらなかった。
共に同じ気持ちであるのならば…

頬よりも鮮やかな赤に近付き、重ねる。
啄ばむように繰り返す口付けは次第に深くなっていき、息苦しさを感じた彼女が弱々しく胸を叩くまで続けられた。
潤んだ瞳が力なく見つめてくる。

「明日…家に来れる…?」

微笑しながら問い掛ければ、眉間に皺を寄せながらもこくりと頷く彼女。
その額にキスを落とし、再び抱き締める。

なんの興味もなかったクリスマス。
それでも彼女と居られることができるのならば特別な意味を持つ。
殺風景なあの冷たい部屋も、彼女が居るだけで温かなものに変わる。
それはきっと、この腕の中の温度と同じくらい温かいのだろう。

少し小さな彼女の傘の下、2人寄り添いながら歩く道は白く輝いて見えた。


end.(2010.12.24)

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