捧物

□移りゆく日々
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繰り返される変わらぬ日々。
それでも確実に変化はある。



『移りゆく日々』



風が冷たくなってきたのを機に屋上から撤退して、階下に続く階段を降りる。
踊り場を曲がるにつれて移動した視界の先に廊下の向こう側からやってくる彼女の姿を捉えた。

いつもの放課後の見回りだろう。
ゆっくりとこちらへと歩いてくる彼女は、まだ俺がいることに気が付かない。
いつ気付くだろうかと思いながら見つめていると、ふ…と彼女の視線が右側にある窓の外へと向けられた。
立ち止まり、首だけ窓のほうに向けて何かをじっと見ている。
茜射す光に照らされた彼女の横顔に思わず見蕩れていると、チリッと胸の奥で幽かな痛みが主張し始めた。

キミハナニヲ……
―…ダレヲ…ミテイルノ――?

ここは3階で、真っ直ぐ前に向けられている目線からして“誰か”を見ているはずはないのだとは判るけれど。
その眼差しと淡い朱色に彩られた彼女の佇まいが、俺の身の内に焦燥を生み出した。

ほんの数メートルしか離れてはいないのに、ひどく遠くにいるような錯覚さえ感じる。
近付いたと思っていたのに、実は違っていたのかも…なんて弱気な考えが頭の隅を掠めたが、それを打ち消すように、未だに動かないでいる彼女に歩み寄った。

「――なに、見てるの?」

「!! ……碓氷か」

俺の声に、驚いて振り向いた鮎沢の少し強張った表情が、俺の姿を認めた途端に息を吐きながら緩やかに解けた。
その変わりようを目にして、先刻から感じていた黒い感情が薄らいでいく。
少し前までなら、俺だと判るとさらに警戒して睨みつけてきていたのに。
いつの頃からか頬を赤らめるようになっていて…少しどころじゃなく、胸のなかが温かみを取り戻していく。

「陽が短くなってきたと思って…な…」

それに夕焼けが綺麗だったから思わず見入ってしまっていた、と続いた言葉と共に彼女の視線がまた外へと向けられた。

紅緋(べにひ)、猩々緋(しょうじょうひ)、赤紅(あかべに)、紅(くれない)、朱(あけ)、紅海老茶(べにえびちゃ)、深緋(こひき)、蘇芳(すおう)、濃紅(こいくれない)……
薄雲に反射する様々なアカイ色で構成された夕焼け空。
ついさっきまで屋上で見ていたのに、今彼女から言われるまで、綺麗だともなんとも思っていなかったことに気付く。

ずっと見ていると刻一刻と変わっていく色彩の変化に、なかなか気付くことはできないけれど、瞬きひとつするだけで、目の前の景色がその様相を変えたことは如実に判る。
変わっていないようでいて、本当は目まぐるしく変わっている。
そんな燃えるような色合いをしている夕焼けが、何故か鮎沢の姿と重なった。

「…不思議だよな…。お前にバイトがバレて付き纏われるようになって、まだ1年も経っていないのに……もう随分昔のことのように感じる」

季節だって変わるよなぁと、穏やかに笑った彼女の笑顔があまりにも綺麗で…らしくもなく願いを望んだ。

移りゆく日々のなか。
変わっていくことが必然であったとしても。
できることならば…彼女には変わらないでいて欲しい。
真っ直ぐで少し不器用で時に理不尽だけれど…どうか変わらずそのままで―…

「碓氷? …どうかしたのか?」

黙ったままでいた俺を不審に思ったのか、鮎沢が小首を傾げて問い掛けてきた。
不思議そうな表情には他意はないことが見て取れる。
けれどその瞳にはなにかあったのではないかと、俺を心配していることがはっきりと映し出されていて、言葉に詰まった。
鮎沢が“俺”を見ていてくれていることが…堪らなく嬉しい。
その気持ちのまま微笑みかけて、一歩彼女に近付く。

「―…なんでもないよ」

濃さを増していく空に比例して深紅に染まっていく彼女の唇に、誘われるようにそっと自分のそれを重ねた。

心で呟いた願いは、もちろん本心からのものだけれど。
逃げることなく受け入れてくれるようになった彼女の変化を、なによりも歓喜している自分がいるのも…紛れもない事実だった。


end.(2010.09.22)

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