第四学群の噂の発端となったのは、一説によると大学の地下に張り巡らされている共同溝(ライフラインが全て敷設されているトンネル。別名地下道)に潜入したとある学生が「第四学群棟」と書いてある標識を見つけたからだと言われています。

その標識は現在ではなくなっていますが、大学非公認の学生有志によって発行されている筑波学生新聞のかつての記事によると工学システム学類棟や国際総合学類棟の付近であると記されています。

実は筑波大学開設当時、小さな総合大学という位置づけのナンバー学群と専門分野に特化した専門学群の中間的な位置づけとして「プロフェッショナルスクール」という構想があったようです。この中には国際関係やシステム工学関係のスクールを設置し、これを学群化したかったようですが、結局予算措置ができず第三学群の中に押し込められることになり、第四学群は幻の学群と化したというのが真相のようです。

これに注意すると、国際総合学類や工学システムの建物がある場所の北には1つの学群棟が設置できそうな広いスペースを持つ駐車場があり、さらにはバス停もないのになぜか道路幅が広がっているスペースがあることからもこの仮説は十分真実味があります。



さて、話は変わって教室番号の話。筑波大学では第一学群の講義室は1、同様に第二学群が2、第三学群が3、医学が4、体育・芸術(合同棟)が5、芸術(独立棟)が6で始まっています(私は現役の筑波大生ではないので図書館情報は不明)。その昔、3年制だった医療短期大学部が4年制となり、医学専門学群の中の学類に改組される時、当時の専門学群のコンセプトでは学類はおかない(専門学群=単科大学のイメージ)ことになっていたため、その教室番号の法則から「医学専門学群は第四学群に名前が変わる」という噂が当時まことしやかに伝えられました。結局、この時医学専門学群という名前は変えられず、専門学群なのに学類があるという変則的な組織が誕生しました(これは2007年度の学群組織改編により是正されます)。

というわけで過去2回ほど、第四学群が生まれるチャンスがあった(?)わけですが、いずれも実現に至っていません。

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